『独占欲』



「嘘だろ・・・」

不意にそんな声が聞こえて、蘭は首を傾げながら振り返った。
シャワーを浴びていた筈の新一が、いつの間にかタオル片手にそこに立っている。
見れば、未だきちんと拭っていない髪の先から、雫がぽたぽたと落ちてきていた。

「ちょっと、何してるのよ」

慌てて傍に行き、タオルを引っ張る。
するりと手に収まったそれを持ち直し、蘭はその髪を拭い出した。
春というより、初夏に近い気さえする陽気だったから、日が暮れてもそれほど気温は下がっていない。
だからといって、濡れた髪を放置すれば、風邪をひくのは目に見えている。これから出かけようというなら尚更だ。

「もう。新一ってば、こんなんだからすぐ風邪ひいちゃうのよ?」

子供の頃からサッカーをしていて、体力はある筈なのに、気づけば風邪をひいていたりするのは、
こういう日常の無茶の積み重ねだと、蘭は思っている。

身体を鍛えるとかいう前に、まずは基本的な生活を見直すべきだと、何度言えばこの優秀な筈の頭は理解するんだろう?
そう思って溜息をついた彼女は、見慣れた、そのくせいつの間にか目線ひとつ分高いところにある幼馴染みの顔を、軽く睨み据えた。
どこか呆然とした顔で、されるがままになっている新一は、特に反応を示さない。

(・・・子供みたい。)

そんな風に思ったのが、何を連想したからなのかに気づき、しょうがないなぁと苦笑を漏らした蘭は、
彼の頭にタオルをかけたまま、その腕を引いてソファに座らせた。
蘭自身は立ったまま。いつまでも見上げる状態では、こちらが辛いから。
子供っぽく振舞うのなら、見下ろしてあげようと、そんな気分だった。
だが、再びタオルに伸ばした手を、今度は新一に捉えられる。

「オメー、それで出かけるのかよ?」
「そう、だけど?」

目線を上げないままの新一の顔は、タオルに隠れてよく見えない。
だから、その質問の意図が読めなくて、蘭は不思議そうに問い返した。
そのまま自分の服を見下ろす。

昼間、園子と出かけた時に買った、春らしい薄手のワンピース。
すとんと落ちる柔らかな素材は心地好くて、試着してすぐに気に入ったのだけれど。

「似合わない・・かな?」

自分でも悪くないと思ったし、園子だって褒めてくれた。

  ―――工藤君も、ノーサツされること請け合いよ!

親友は、そんな風に言っていたけれど。気に入らなかったろうかと、少し心配になる。
久しぶりのデートだから、頑張ってみたつもりだったのに。

沈んだ気配を感じ取ったらしく、新一が慌てた様子で、掴んでいる手に力を入れた。

「違うって。すっげー似合ってるけど・・・似合ってんだけど、さ」
「新一?」

口ごもった彼は、空いている手で自分の顔を覆う。それが少し赤いのは、気のせいだろうか?

「・・・何てーか・・・ずっと、冬服だったろ?」
「へ?」

言いにくそうに口にされたその言葉が、どうも理解できず眉を寄せた蘭に、
幼馴染み兼恋人は、今度は間違いなく赤い顔で溜息をついた。

「そういう薄物の服、見んの。久々だろ? ・・・俺は、さ」

俺は、と言い置かれた際のイントネーションで、その意味が解かる。

―――工藤新一は、と。 そういう意味だ。これは。

「だ、だって、ずっと一緒だったじゃない」

訳が解からない。そう思って反論した。

彼は、夏の間も傍にいた筈だ。確かに、工藤新一の姿では無かったけれど、それでもあれは、彼以外の何者でも無かった筈。

「だから。俺も気づかなかったんだけどさ、違うんだよ。コナンの・・・ガキの姿で見るのと、新一としての、高校生の俺とでは」

自分でも意識してはいなかったと、新一はまた大きな溜息を漏らす。
子供の姿でも、彼は彼だ。そう思っていたと。
でも、思っていたよりもずっと、心は身体に引きずられていたらしい。
いや、むしろ子供だからという諦めが、知らない内にストッパーになっていたと言うべきか。

「こうして見ると、すっげークる・・・ヤベーって」

そう言って合わせられた視線の熱さに、蘭は真っ赤になった。
特に露出度の高い服、とう訳でもないのに、この視線の前ではまるで、裸で立っている気分だ。居たたまれない。

 ―――工藤君も、ノーサツされること請け合いよ!

園子の声が頭を回った。そんなつもりじゃなかったのに。

「ちょ、ちょっと新一!離してっ」
「嫌だ」

慌てて距離を取ろうとしたところを、すかさず捕まえられた。
そのまま腰のところを抱き寄せられて、動けなくなる。
蘭は立ったまま、新一はソファに腰を下ろしたままだから、
抱きしめられているというより、抱きつかれているという方が正しい描写なのだが、動けないのには違いなかった。
これじゃあ出かけられないじゃない。
恥ずかしさを紛れさせる為に呟けば、返って来たのは妙に静かな声音。

「・・・なぁ、蘭。 出かけんの、止めよーぜ?」
「だって、せっかくお花見しようって!」

探偵として多忙な彼が、時間を取れずにいる内に、辺りの桜は散ってしまった。
それを残念に思っていた蘭の気持ちを察して、新一の方から誘ってくれた、久々のデートだったのだ。今夜は。

薄紅の枝垂桜。遅咲きの。

ちょっと遠出になるが、夜間はライトアップされているらしいから、大丈夫だろうと、わざわざ調べて来てくれたのが、嬉しくて。
だからこそ、服も新しいのを選んでみた筈だった、のに。

「けど、離したくねーし・・・・・他のヤローに見せたくもねーんだよ」

素直じゃない彼の、滅多に聞けない素直な言葉に、蘭は思わず言葉を失った。

キザなことも確かに言うのだが、普段の新一は、どちらかというとぶっきらぼうで、こういう事をすんなり口にする方ではないのだ。
それが妬きもちだということくらい、蘭にも分かる。

そして、珍しく露わにされた独占欲は、どこか恥ずかしいけれどそれでも、くすぐったいような嬉しさを呼び起こした。

「俺がガキの視点で見てた間も、他の奴らは今の俺と同じように思ってたんだろうって思うと、更にムカツクしな」

そう言って、新一は未だ頭にかかっていたタオルを、脇に放った。
隠すものが無くなって、瞳にこめられた熱が益々際立つ。蘭を絡め取るようなその光。それから、甘い声。

「もう、誰にも見せたくねーくらい」

だから離したくないと囁かれて、蘭はこれ以上無いくらい赤くなった。
合わせた視線越し、熱を移された気分になる。それともこれは、触れている掌から伝わって来るのだろうか?

1番、傍で。
蘭を見て来たのは新一の筈だ。
幼馴染みとしてずっと、それこそ見飽きる程に、蘭のことなどよく知っている筈の彼が、そんな風に言うなんて。
思ってもみなかったから、何を言えば良いのか分からない。

どうしよう、と思う彼女の気持ちを読み取ったように、新一が、ふっとその視線を緩めた。口元が笑みを象る。からかうように。

「それとも。蘭は、そんなに桜が見てぇのか? ―――俺といるより?」

問いかけの形は取っているけれど、自信たっぷりなその顔は、蘭の返事がどんなものか、疑っていない。
そのことに、彼女だって少しばかり腹が立つ、のだけれど。

ただ、それでも。

見飽きる程に見て来た筈の、自信たっぷりなその顔を、彼女が本当の意味で見飽きる、なんてことが決して無いのは、事実だったから。

蘭は、呆れたような顔で、溜息をついた。

「馬鹿ね・・・」

そう呟けば、少しばかりムッとした表情が返るけど。
そもそも、誰と、桜が見たかったのか。一緒に居たかったのかを、蘭はもちろん、新一だって分かっているから。

そっと、屈みこみ。
蘭は彼の耳元で小さく囁いた。

この部屋どころか家中に、他の誰も居ないのだけれど。それでもそっと。吐息と共に。

2人だけの、ささやかな秘密を分け合うように。






ゆうき様より戴きました。
某所茶会にてリクエストした『極甘三部作:新蘭編』です。

薄手の洋服に萌える新一氏、素敵ですvv
夜桜よりも蘭、当然でしょう(笑)

ありがとうございました。