『掠れた声』



ぴょこん、と覗きこんだのは、幼馴染みの部屋。
予想通り、ベッドの上では部屋の主が、ぐーぐーと惰眠を貪っている。

「・・・アホ面してんなぁ」

なんて。
いつも通り呟いてみた和葉だが、いつもとは違い、起こさないように気をつけながら、そっとベッドの傍に腰を下ろした。

本当は、お花見に行かないかと誘いに来たのだ。
場所は特に考えていない。造幣局の通り抜けでも、祇園や嵐山でも。
近所の公園だって、本当は良かった。

一緒にいたいだけだから。

ただでさえ慌しい新学期。
加えて事件続きだったりするから、高校生探偵と名高い服部平次は、このところ家にもロクに帰っていないらしい。
当然、幼馴染み兼恋人と過ごす時間も、殆ど無かった訳で。

「・・・そうでなくても、おんなじやけどな」

悔しいかな。この朴念仁は、推理と剣道の次くらいにしか、和葉のことを考えていない節がある。
いや、もしかしたら友人とか、分野は違えどライバルと認識している沖田や工藤の次かも知れない。
いやいや、もしかして母親の作る料理の後なんてことも・・・などと、グルグル考え出していた和葉は、そこでハッと我に返った。

「しょーもな・・・」

考えても仕方ないことは、考えないに限る。それが落ち込みそうな内容なら尚のこと。
服部平次と、幼馴染みとして以上に付き合うようになってから、和葉が1番に学んだのが、それだった。

元々、変に思い込みが強すぎるのだ、自分は。
その傾向が最も顕著なのは、平次のことで。

―――と。自覚はしている、一応。

ただ、一向に改善する気配が無いのはやっぱり、彼のことを考えると余裕が無くなるせいで。
それはきっと、彼のことばかり考えすぎているせいで。

「・・・へーじのアホゥ」

ぽてん、とベッドに頭を持たせて、寝顔を覗きこむ。
能天気なその顔は、傍に居る和葉のことを、気づく気配なんて一つも無く。
届かない気がして、妙に切ない。

付き合う前から、全然変わっていない。
こんな風に、相手のことを考えてしまうのは、和葉の方だけなのだ。
そう思うと、哀しくなる・・・筈が、何故か段々と腹が立ってくる。

疲れて寝ているのを起こしたくは無かったが、せっかくの休みに惰眠を貪るばかりで、
カノジョに連絡すらしようとしない男には、多少の無体を働いても構わない気がしてきた。

(・・・せや。叩き起こしたろ!)

そう決めて、和葉がスゥと息を吸い込んだ時。

「・・・・ぁ」

低い声が何事か呟いた。
へ?と首を傾げる。未だ自分は何もしてないのだけれど。
まばたきをすれば、また微かな声。
今度は間違いなく、平次の口から聞こえた。

「・・・寝言?」

たった今起こそうとしていたのも忘れて、和葉は彼の寝顔を覗きこんだ。
起きている様子は無いから、本当に寝言らしい。
そして、どうも人の名前を呼んだ気がした。

寝言で呼ぶ名前、なんて、妙に気になるではないか。
低く掠れた声は、気のせいかどこか切なくて、感情がこめられている気がしたのだ。
あんな声で呼ぶ、夢の中でまで出てくる相手。
それが誰か、なんて気にならない筈が無い。

(これで工藤君とかだったら、このアホ、本気でしばいたらな―――)

応援してな、蘭ちゃん!と、自分でもやや意味不明な決意と共に、平次の方へ距離を詰めた。
呼吸が触れそうなところまで来た時、もう1回、呼ばれた名前は。


「・・・か、ずは・・・・・」

がば!と身を起こし、和葉は叫び出しそうな口元を押さえる。
鏡なんて見なくても、自分が今、真っ赤になっているのは見当がついた。

(な、なんで・・・)

少しだけ。ほんの少しだけは期待していた。そう。どこかで。

でもまさか、本当に自分の名前を呼ぶなんて、そんなことがあるとは思っていなくて。
どくどくと鼓動がうるさい。眩暈がする。どうしよう。

そうやって、和葉が必死で、その状態から抜け出そうとした時、うわっ!と妙な叫び声が上がった。
がばっと腹筋だけで起き上がったのは、もちろんベッドの上の平次だ。

2人きりの部屋では当たり前の話。
だが、当たり前でなかったのは、彼が数瞬前の和葉と同じく、口元を押さえ、真っ赤になって固まっているというその状態で。

「・・・へーじ?」
「・・っ、かかか、和葉ぁ?! おま、何でおんねん!」

ぽろりと零れ出た声に、平次は異様なほどの反応を返した。
狼狽するその様子は、長い付き合いの和葉でもちょっと、見た事が無いほどの。

「どないしたん?」
「ど、どうもしてへん!」

自分自身も平常心とは程遠い状態だったのだが、目の前で他人にパニックを起こされると、却って落ち着いてくるものらしい。
逆に、こちらの顔色を突っこまれたくない気持ちも手伝って、和葉は殊更、強気を装った。

「おかしいで、平次。何か夢でも見たんやろ」
「見てへん!」

即答である。

しかも、あからさまに胡乱な顔つきで、ぶんぶんと首を振って。
これでは名探偵なんかでなくても、不自然極まりないことくらい分かろうというものだ。

そう指摘してやれば、自覚はあったのだろう。
平次は口元を押さえたままで、落ち着かなく視線を逸らした。

その様子が妙に子供じみていて、何だかおかしいと、思わず口元を緩める。

「・・・ホンマは夢、見とったくせに」

自信満々で腰に手を当てて言えば、平次は更にうろたえた。図星らしい。当然だ。

生憎と、和葉は知っているのだ。
平次が寝言で、他ならぬ彼女の名前を呼んだこと。

誰がどう考えても、平次が夢を見ていたのは明らかで。そうしてその夢にはきっと―――

「可愛い幼馴染みが出てきたんやろ?」
「ちゃう」

確信をこめたセリフは、一言の下に否定される。
彼が犯人を追いつめた時に、勝るとも劣らない自信が、和葉にはあったのだ。それなのに。

「何でやねん!」

名前呼んだくせに。
それもあんな声で。

思わず言いそうになって、流石に口ごもった。
これを口にするのは、和葉自身も恥ずかしい。ああでも。

「―――トボけんのも大概にせな、怒るで。へーじ」
「とぼけとらん。ホンマや」
「ウソ。絶対ウソやって!」

別にいつもなんて言わないけれど、たまには。
たまには、素直に認めてくれても良いのではないだろうか。

事件のことと剣道のこと、学校のこと、友達のこと。
そればっかり考えている訳ではなくて。
少しは・・・そう、たまの夢に見るくらいには、和葉のことだって考えているのだと。

「・・・それとも。アタシに言えへんような夢見とったん?」

もしかしてもしかしたら。
待って。それってどんな夢?

ぐるぐると頭を回り始めたイロイロな可能性を、真面目に考えようとした途端、平次はアホゥ!と叫んだ。
そのまま、口元を押さえていた掌を目元に移す。
どうしようもない、といった顔で、肩で息をした彼が、自棄気味にもう一度、怒鳴った言葉は。


「〜〜〜和葉っちゅう名前の、女房が出て来たんや!」


・・・・・きっかり5秒はフリーズした後、和葉はどかんと真っ赤になった。


本日2度目。だが、1度目を遥かに超えている。

どきどきしてばくばくして眩暈がする。息が出来なくて苦しい。


今、この男は何て言った?言葉なんて出て来ない。どうしよう。何が何だか。

混乱して視線を動かせば、目の前には同じように赤くなった、平次が。


・・・元凶が。


「・・・へっ、平次のアホー!!」
「なっ、何でやねん!」
「そんな夢見るからや!」
「俺かてそんなん知るか、ボケ!!」

嫌な訳ではない。むしろたぶん、嬉しいのだけれど。
でもそんなの、どうして良いのか分からない訳で。

ああもう、何をどうすれば、どう言えば良いのだろう?


正しくパニックの様相を呈してきた和葉を、同じように混乱していた筈の平次が掴まえた。

少しばかり平静を取り戻している気がするのは、彼が探偵だからか。
それとも先程の和葉と同じ原理だろうか。


だが、平次は少なくとも、和葉には思いも寄らなかった方法で、この状況を収束させることを選んだ。

それはつまり。

「もぉええから、黙っとれ」


寝起きの、低く掠れた声がすぐ傍で響く。

びくっとまぶたを閉じてしまった和葉が、それ以上喋れないようになった理由は―――それ、だけでは無かったけれど。


混乱が収まるまでにはどのくらい?


―――取り敢えず、和葉が本日、花見には行けなかったことだけは、確かな事実、なのだった。






ゆうき様より戴きました。
某所茶会にてリクエストした『極甘三部作:平和編』です。

アレとかソレとかすっ飛ばして、いきなり『女房』ですか!?
ややこしい事が嫌いな彼らしいっちゃ、らしいですけどね〜(笑)

ありがとうございました。