『食べごろ』
せっかくお天気の良い休日に、青子にしては珍しくフテ寝を決めこんだのは、
近所の桜がすっかり散ってしまったから。
毎年、青子の父と幼馴染み、そしてその母とを交えて、4人でお花見をしていたのだ。
年中行事という程ではない。
近所の桜を眺めて、軽いお弁当を食べて、何時間かお喋りをする、ただそれだけのこと。
(・・・でも、青子は楽しみにしてたのに)
それが今年は、幼馴染みと青子の父とが、それぞれどうしても忙しいということで出来なかった。
いやむしろ、幼馴染みが忙しいから、青子の父もまた忙しい・・・のだったりする。父には言えない話だが。
だからこそ、青子には無理も言えず、それぞれに頭を下げるどちらに対しても、しょうがないね、と苦笑してみせた。
幼馴染みに対してだけは、少しばかり拗ねてもみせたけれど。
(・・・デートもずっと、出来てないし)
そう。幼馴染みは同時に、彼氏でもあるというのに、だ。
学校で顔を合わせるだけ、それも相手がサボリを決めこまない日のみ、というのは
仮にも彼女として、拗ねても充分許される状況だと思う。
そんな青子に気を遣ったのが、当の本人なのかどうか。
せっかくだから2人だけでもと、彼の母親がお茶に誘ってくれたのは、すごく嬉しかったし、楽しい時間だった。
でも、だからこそ尚更、4人だったらもっと良かったのに、と思ってしまうのも否めなくて。
(・・・バ快斗)
未練たっぷりに、段々と少なくなる桜吹雪を眺めていた時間も、昨日の雨でついに終わってしまった。
せめて彼と2人、学校帰りに寄り道でも出来たなら、これほど引きずらなかっただろうに。それすら出来なかったから。
あーあ、と呟いて。
クッションを抱えこみ、ころん、と自分のベッドに転がった青子は、そのまま、まぶたを閉じることにしたのだった。
「・・・ぉこ。 あーおーこって」
呼びかけられて、ゆらゆらと意識が戻って来る。
よく知っている声は、でも逆に安心感をもたらして、そのままもう一度、眠ってしまいそうになる。
「こーら。・・・いつまでも起きねーと、襲っちまうぞー」
(・・・バカイト・・・)
何を言っているのか、と意識の隅で、小さな笑いが零れた。
普段からセクハラ気味な彼ではあるが、寝込みを襲ったりはしないと知っているから。
本当の意味で、青子の嫌がることを、快斗はしないから。
だから安心して、もう一度寝入ってしまいそうだった青子を引きとめたのは、不意に気づいた甘い香り。
こんな香りに覚えはない。
どうして?という疑問と、また呼びかけられた声に促され、青子は今度こそ、ゆっくりと目を開けた。
「・・・・・へ?」
ぱちくり、とまばたきを繰り返す。呆然としたまま目をこする。
それでも、目覚めた青子の視界に映るものは一緒だった。
ここは青子の部屋。それは間違いない・・・のに。
「なに、これ・・・?」
瞳に映るのは、一面のピンク。
部屋中に敷き詰められ、更に舞い落ちてくるピンクの、花。
甘い香りを放つ小さな花が、青子の視界を埋め尽くしていた。
「おせーよ、起きんの。いつまで寝る気かと思ったぜ」
「か、快斗!これ、どうしたの?!」
その声で我に返った青子は、すぐ横にどっかりと座りこんでいる幼馴染みに詰め寄った。
考えるまでもない。こんな常識外れの真似をしてのけるのは、彼しかいないのだから。
「花見、したかったんだろ? ―――まぁ、桜じゃねーけど」
その辺はまけとけ、と言われて気づく。
溢れるほどのピンクは全て、桃の花だ。
桜の花は溶かしこんだようなピンクだが、こちらはずっと濃い、可愛らしいピンク。
甘い香りとあいまって、まるでお菓子のような。
「で、でも!こんなにどうしたの?それに、花びらじゃなくて花そのものなんて」
桜の花びらなら、それこそ集めてもおけるかも知れないが、
桃の、しかも散った訳でもない花を、こんなにたくさん。
「別にヘンなことしてねーって。 それ、適花ってヤツだから」
果樹園などで、良質の実をつける為にわざと、花を枝から落とすのだと、快斗は説明する。
もちろん全部の花をでは無いが、それでも結構な量を摘み取るから、樹の下はピンクの絨毯を敷き詰めたようになる。
上を見ても下を見ても、一面のピンク。
―――ちょうど、満開の桜の下に居るように。
「色合いは違うけどさ。・・・これじゃ、ダメか?」
少し困ったように見つめられて、青子は返す言葉を失った。
お花見が出来なかったのは、ちゃんと謝ってもらったし、仕方ないと解かってもいる。
この花だって、いくら要らないものでもそれなりに苦労して、手に入れてくれたんだろう。
ここまで運ぶのだって大変だった筈。
それは全部、青子の為で。
毎年楽しみにしていたとはいえ、本当にささやかなこと。
それに拘るのはワガママだと言われても、仕方ないくらいのことなのに。
何とかしてやりたいと、そう思ってくれた快斗の心だ。この花は。
視界を埋め尽くす程の。溢れるほどの、青子への気持ち。それをダメだなんて。
「・・・そんな訳、ないじゃない。 ありがとう、快斗」
すっごく嬉しい!と、笑顔を向けた。本当に、心からの。
だが、得意そうに笑うかと思った彼は、何故か慌てた顔で、そっぽを向いてしまう。
心なしか赤い気がするのは、一面のピンクの花のせいだろうか?
「・・・・・ヤベ。理性が」
「快斗?」
片手で口元を覆い、もごもごと呟かれても聞こえない。
何を言っているんだろう?と首を傾げた彼女に、快斗は更に慌てた顔で、何でもねーよ、と叫んだ。
「アホ子が素直に礼なんか言うから、未だ寝惚けてんじゃねーかと思っただけだって」
「あー、そんなこと言うんだ?」
せっかく言ってあげたのに、と頬を膨らませれば、つん、と突付かれる。
悪戯っぽく笑う顔は、もういつも通りの幼馴染みだ。
「それこそ桃みてぇ」
「もう!バ快斗」
青子もまた、いつも通り言い返し、それから何となく、2人で笑い出した。
甘い香りと一面のピンクが、すごく不思議で。
それなのにいつも通りな自分達が、何だかおかしい。
綺麗な桃の花に囲まれて、桃源郷ってこんなかな?なんて、頭の片隅では思っているのに。
「・・・美味しい桃がなると良いね」
せっかく、こんなにも綺麗に咲いた花達を、摘み取ってしまうのだから、その分も。
そう呟けば、面食らった顔をしていた快斗が、一拍置いて、事も無げに肩を竦めた。
「その分、青子が眺めてやれば良いだろ」
「―――キザなんだから」
そう、思うけど。
でも嬉しい。こうして一緒に、花を眺められる時間が。
眺めることに意味があると、そう言ってくれた気持ちが。だから。
知らず微笑みながら手を伸ばし、青子は快斗に抱きついた。
もう一度、有難うと囁く彼女に、何故か幼馴染みは、先程と同じように口元を覆って。
今度は溜息をひとつ。
「―――おめぇ、ここ何処か解かってるか?」
「へ? 青子の部屋でしょ?」
桃の花で埋め尽くされているからといって、見間違える筈がない。
青子の部屋の、青子のベッドの上だ。さっきまで眠っていたのだから当たり前。
何言ってるの?と首を傾げると、快斗はまたも深く溜息をついた。
「・・・実るのはだいぶ先だな、こりゃ」
「・・・桃?」
話の流れが掴めない。
眉を寄せた青子の肩を、大きな手が掴んで引き寄せる。
「しゃーねーから。食べごろまで、気長に待ってやるよ」
そんな言葉と共に、彼の唇が頬に触れた。さっき、快斗が桃みたいだとそう言った、青子の頬に。
―――襲っちまうぞ。
夢現に聞こえた声が頭を回る。
何を言われているか、さっきから、快斗が何を言いたかったのかにようやく気づいて、
青子はポン!と音を立てそうな勢いで真っ赤になった。
「あ。熟れた?」
「―――てないっ!」
ぶんぶんと頭を振れば、返って来るのは笑い声。
ピンクの花がふわりと舞った。
甘い香りに包まれて、夢みたいに優しい眺め、だけれど。
食べごろまでは、たぶん、まだもう少し。
ゆうき様より戴きました。
某所茶会にてリクエストした『極甘三部作:快青編』です。
熟れるまで待つ・・・。
かなりの忍耐を強いられるんでしょうね〜(笑)
ありがとうございました。
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