久しぶりに袖を通した制服に、少し見慣れない気がして、蘭は何度も鏡を覗き込んだ。
春休み中の数週間、着ていなかっただけなのに。
なんだか、違う服みたい。
今日から高校2年生になる。
新一と同じクラスになれるかな?
そんなことばかり考えていて、あまり眠れなかったのに。
いつもよりも早く目が覚めてしまった。
新一のことだから、きっと、今日が始業式だということも忘れて、寝ているに違いない。
早めに行って、起こさないといけないかな?
鏡の中の自分を、じっと見つめる。
今年こそ、新一との仲は進展するだろうか?
大丈夫よ、蘭。
貴方だって、少しは大人になっているんだから。
新一が振り向いてくれるような、いい女になれるわ!
女の子はいつだって、そうやって自分に魔法をかける。
彼に似合いの女の子になりたくて。
最後にもう一度、ブラシを取って髪を梳く。
新一が子供の頃に褒めてくれた長い髪。
バカの一つ覚えのように、それからずっと長く伸ばしている。
ブラシを置こうとして、ふと、隣に置かれた黒いケースが目に入る。
春休み中に海外旅行をした園子が、お土産にとくれた海外ブランドの口紅だ。
高校生なんだから、まだ早いと言ったけれど。
高校生なんだから、お洒落をしなきゃと言われて、結局、手渡された。
なんとなく手を伸ばす。
カチンとキャップを外し、くいっと捻る。
「蘭にはやっぱり、ピンクよね」
園子の独断と偏見で選ばれた色。
現れたピンク色の塊は、それだけ見れば原色甚だしい色だけれど。
蘭の唇に薄く乗せると、まるで桜の花びらのようなほのかな色合いになる。
1年生の時だって、クラスにグロスや色付リップをつけているコはいたじゃない。
そんな免罪符の言葉で、自分を誤魔化して。
蘭は、口紅を引いた。
思ったよりも、濃く色がついてしまって、慌ててティッシュで拭う。
いくら何でも、先生に怒られるだろう。
もう1度。
ついているのか、ついていないのか。
わからないくらい、うっすらと。
ドキドキとしてしまって、手が震える。
口紅をつけてみて、改めて自分が子供なんだと思ってしまう。
頭に浮かぶのは、母親・英理のくっきりと引かれた真紅の口紅。
でも、それは全く違和感なく、英理の顔の一部になっている。
いつか、私も。
あんな色が似合う大人の女になりたい。
親子なのだから、似ていると言われたことはあるけれど。
本当にそんな素敵な大人になれるのか、自信がなくなることだってある。
ふーっと溜息をついて俯く。
目に入った腕時計の時間に驚く。
「いっけない!」
折角、早くに準備していたのに。
余計なことをしてしまったせいで、いつもと変わらない時間になってしまった。
蘭は鞄を手に取ると、ばたばたと部屋を出て行った。
ピンポーン
工藤邸の前まで来ると、呼び鈴を鳴らす。
起きてるかな?
1回鳴らして、しばらく待つ。
けれども、反応はない。
ピンポーン、ピンポーン
立て続けに、数回鳴らしてみる。
やっぱり、寝てるな。
何度も連打していると、宅内から物音が聞こえてきた。
あ、やっと起きたみたい。
ピ、ピ、ピ。
待つこと、3分。
ガチャリと開いたドアから、不機嫌そうな新一の顔が覗いた。
蘭が思っていた通り、パジャマのまま。
「・・・何の用だ?」
「何言ってるの! 今日から新学期だよ!」
「え゛・・・」
その時の間抜けな顔ったら。
これが、探偵と大見得気っている人の顔かしら?
ひとまず工藤邸にあがりこみ、新一を着替えさせておいて。
蘭はキッチンで手早く朝食を作る。
時間がないから、コーヒーとトーストと目玉焼き。
これなら、レタスとトマトでサンドウィッチのようにして食べれるし。
ピピッと電子音が響いてコーヒーが出来上がる。
いつものマグカップに並々と注ぐ。
「お、いい匂い!」
「やっと着替えた?」
「わりー、わりー!」
「悪いと思うんだったら、始業式の日ぐらい覚えておいてよね!」
「いいだろ? 蘭が覚えてんだから」
ごくりと熱々のコーヒーを飲む。
「・・・火傷しないの?」
「別に? 平気だけど?」
横目に蘭の方を見た新一が、そのままじっと蘭を見詰めている。
「な、何よ・・・?」
「いや、別に・・・」
蘭が言うと、新一も視線を逸らしてトーストに目玉焼きを乗せる。
「あ、冷蔵庫にレタスがあるから」
「んー? じゃ、一緒に挟むか」
がさごそと冷蔵庫を漁っている新一に背を向ける。
やだ。
気付かれちゃったかな?
新一って、変に感がいいというか。
鋭いというか。
新一曰く、探偵の観察眼らしいけど。
とにかく。
新一にからかわれるのはゴメンだわ。
付け入る隙を与えないようにしなきゃ。
なんて、そんな事を言うんだったら、ルージュなんて塗ってこなきゃよかった。
気恥ずかしくて、新一を直視できない。
蘭が溜息をついていると、新一が残りのコーヒーを飲み干してから蘭に向き直る。
「いいのか? 時間ねーんじゃなかったのか?」
「え? あ? ああーー!!! 遅刻しちゃう!」
「ったく。ツメが甘いんだから。ほら、行くぞ!」
蘭の鞄も持ち上げると、新一は蘭よりも先にキッチンを出て行く。
「ちょっとー! 待ってよー!」
「早くしろよ!」
いつの間にか、形勢逆転。
ぱっと蘭の手を取って、新一が走り出す。
幼馴染の特権。
新一の家に自由に出入できて。
他の人が見ないような、新一を見ることができて。
こんな風に、何気なく触れ合える。
今のままでいいような気持ちにもなる。
もちろん、もっと関係が進展すれば嬉しいけど。
悪化する可能性だってあるんだから。
だったら、このままの方がいい。
きゅっと胸が軋む。
「ま、待って! 新一、早すぎ!」
「こんくらいついて来れねーと、遅刻するぜ!」
「だ、だめ。苦しいっ!」
「情けねーな」
「新一の体力と一緒にしないでよね」
もちろん蘭も、空手部で鍛えてはいるのだが。
多分、今、苦しいのは、それだけの理由ではない。
本当に苦しいのは、蘭の心。
はあはあと息を整えている蘭の隣で、新一はのん気そうに空を見上げている。
これからの1年を期待させるかのように、晴れ渡った青空。
きっと、いい1年になるって、思える。
春の柔らかな陽ざしを全身に浴びて。
雲の合間から差し込んでくる光の帯が、新一を包み込んでいる。
新一って、こんなにキラキラしてたっけ?
私も、同じように輝きたい。
頑張るから。
新一に似合う、おんなになれるように。
オトナのおんなになれるように。
これから訪れる1年で。
ステキなおんなに、なあれ!
beさんのサイト『Fragile Heart』の2周年企画【100歌2】でリクエストをさせていただいたものです。
歌詞の内容が、beさんの苦手なジャンルとは露知らず、すみませんでした(滝汗)
鏡の前の蘭ちゃん、素敵な“おんな”になってますよvv
ありがとうございましたvv