『幼子の見る夢に』




忙しい毎日が過ぎる。


案の定、仕事で忙しい快斗へのクリスマスプレゼントは、快斗の母に預ける形になった。

今までも行なってきた、幼馴染へのクリスマスのプレゼント。


でも、今回は少し特別な気持ちを込めたプレゼント。
受験勉強の負担にならないように編んでいたのに、それでもマフラーは、ずいぶんと長くなってしまったから、


快斗はびっくりしたのか、深夜遅くにメールが。
翌日には、忙しいだろうに彼は青子に会いに来た。


「快斗…。」
「よ!これ、サンキューな。でも、受験生なのにいいのかよ?」


当然のように、首にマフラーを巻いて。
憎まれ口のような口調の気遣いの言葉に、青子は胸を張って返事を返す。


「受験に差し支えが出るような事はするわけないでしょ?」



えへん。

わざと、茶化して返事を返した。


色を選ばない黒いマフラーは、それでも、快斗によく似合っていた。
自分が作ったものだと言うことが誇らしく、また胸をくすぐる。


そう長い間、話す事は出来なかった。

快斗には、年末のショーの準備など、仕事が山積していたため、本当に挨拶だけで終わってしまった。


「わりーな。じゃあ俺、仕事あっからよ。」
「ううん。わざわざ来てくれてありがと。使ってもらえて嬉しいよ。」

「まあ、青子が作ったにしちゃ、いい出来じゃねぇの?」
「もう!これで風邪ひいたら、許さないんだから!気をつけてね!!いってらっしゃい!」
「青子も風邪ひくなよ!じゃーな!」


手を振って去っていく背中に、胸が温かくなる。

涙腺がゆるくなっているのか、少しだけ涙が滲んだ。
幼馴染の『特別』にいられることが、純粋に嬉しかった。


これからまた暫く、仕事があるから、会えないだろうと思うと淋しかったけれど。






クリスマスが終わって、快斗に会った後、彼は仕事の都合で正月にも会えないくらい忙しかった。

もちろん、目前に迫ったセンター試験や、今まで不十分だった二次試験対策を詰めている状態だったので、
青子自身も時間がないほどで、近付いてくる試験日程にプレッシャーを感じる日々に、
三箇日もゆっくりと過ごす事は出来なかった。

父親も、年末年始に専属の怪盗が現れる事はなかったものの、
警戒強化のために、結局呼び出され忙しい年末を過ごすことになった。



変わっていくことが、怖いと思う。
成長していくごとに、青子自身変わっているけれど、

それ以上に、彼とともに過ごす時間がどんどんと減ってきていることを思い知らされる。

いつまでも、子供のままではいられない。
先のことを決めたとはいえ、それだけではない。
進むたびに失っていくものも、あるのだと思い知る。


選んだ先にある可能性。
選ばなかった先にある可能性。

迷いがなくなるはずなんて、ない。
時折襲ってくる不安と戦いながら、ただ、青子は日々を過ごした。


その不安を、いつもならば吹き飛ばしてくれる快斗に会わないままに。






必ずといっていいほど冷え込むセンター試験の最終日。

空を厚い雲が覆い、夕暮れを闇に一層近づける。


受験教科が最後まであった青子は、一人受験先の大学を後にする。仲の良い友人たちは、先に帰っていた。
最寄の駅へと歩き出した青子は、大学の入り口に立っている人影に声を上げた。


「快斗…?」
「よっ!」


片手を挙げ、にやりと笑うのは、間違いなく、幼馴染みの快斗だった。
黒のロングコートと、青子が昨年末に快斗にプレゼントした黒のロングマフラーを上に着込んでいる。


「え?何でここに?」
「お疲れさん!」


急いで駆け寄っても、幻ではない証拠に、彼は消えなかった。
何故、ここにいるんだろう?


「か、快斗?」
「ほれ、行くぞ!」

空いている青子の左腕を取って、快斗は歩き始める。

「行くって、何処に?」

何を言っているんだとばかりに、快斗は呆れた顔で、青子を見下ろした。

「早く家に帰るんだよ。体調悪いだろ。顔色悪いぞ。」
「…そんなことないもん。」


言いながらも、青子は、快斗にここ最近会っていないのに
何故そう言ってここにいるのかと内心不思議に思う。

「ほほう。俺さまに嘘を吐こうとは、いい度胸だ。この、あほ子!」
「だ、誰が、あほ子よ!このバ快斗!」

青子の言葉を聞かず、さらには持っている荷物を取り上げる。

「お前に決まってるだろうが。意地張ってないで行くぞ。」
「荷物くらい、自分で持てるよ。快斗!」
「今日、センターが終わったからって、二次に向けてがあるだろ。長期戦なんだから、無理したところでいいことないぞ。」


聞く耳を持たない幼馴染の言葉は、正鵠的を射ていて、反論しづらい。
心配しての言葉だから、嬉しい気持ちはあっても、嫌な気分にならないのも本当だった。


「うん。ありがとう。」


青子がようやく正直にそういうと、快斗は、繋いだ手をぎゅっと握って合図してきた。
その合図が嬉しくて、青子の口元が綻んだ。


「今日、警部泊まりだって?」
「うん。関東一帯を騒がせてた窃盗グループを逮捕する大詰めなんだって。」
「へえ。」
「お父さん、なんにでも全力投球だから心配なんだよね…。」


溜息とともに告げれば、肯定の返事が快斗から帰ってくる。


「だなあ。あ、その警部から伝言。今日は俺んちに泊まるようにって。」
「ええ!?」
「青子の体調悪りーから心配なんだろ?わざわざ、お袋に頼みに来たんだからな。」
「お父さんってば心配性なんだから。」


快斗が迎えに来た理由は、そこにあったのかと納得した。

体調が悪いからと言う理由だけで、快斗の家に泊めてもらうようにいう父ではないけれど、
その理由については深く考えなかった。





手を繋いだまま、二人は自宅の近所へと戻ってきた。


まず、青子の家に寄り、必要な荷物を取ってから、快斗の家へと向かうことになった。

「じゃあ、快斗ちょっと待っててくれる?」
「おう。早くしろよ。勉強道具の持ち込みは禁止な!」
「はーい。」

体調が悪いって言う理由なんだから、当然だろう?といって快斗に説得されたので、
さすがに刃向かおうとは思わなかった。

それに、確かに頭が早々働くとも思えなかった。
指摘されたせいか、身体は疲れを訴えていたから。

身を翻そうとして、青子は足を止めた。あまりに当たり前のように感じてしまっていて、
違和感を覚えなくなっていたのだけれど。

「……快斗、荷物。それから、手、放して?」
「おお!」

ぱっと放される手に、淋しさを感じてしまったけれど、青子は必死になんでもない風を装う。

「先に帰ってて?青子、準備したら行くから。」
「大丈夫か?」
「平気だよ。そんなに用意するものもないんだし。…快斗、心配性!」

わざとはしゃいだように言うと、逆に快斗の眉間に寄せられた皺が深くなった。


さすがに幼馴染。青子の空元気に、騙されてはくれない。

「ほんと、だいじょぶよ?」

念を押すように見上げていうと、ちょっとだけ、快斗は身を引いた。


近くで言いすぎたのかな?と思うよりも先に、快斗が目線を彷徨わせた後、ぐいっと顔を近づけてきた。



「……そう言って、今まで何回ぶっ倒れたことがある?」
「え〜〜?何のことぉ?」

今度、視線を合わせられなくなったのは、青子のほうだった。


言われるまでもない。

昔から無茶をする快斗に付き合ったり、少々体調が悪くても黙って悪化させてきた青子の病歴は、
出会って以降全部快斗は知っている。
すぐに思い出すものだけでも、相当数。


「それに、用意にそんな時間かからねぇだろ。ここで待っててやるから、さっさと用意して来いよ。」
「寒いのに…。もう!じゃ、超特急で用意してくるね!」
「急ぎすぎて、こけんなよ。」


急かしているのは誰よ!と思いながら、捨て台詞も無しに鍵を開けて青子は家に飛び込んだ。




玄関の灯りをつけ、自室へと急ぐ。

心配性なのか、これまでの経験からなのか。急に倒れるような体調でないことくらい、青子は自覚している。
自分の体調管理を怠っていたわけではないのだ。
多分、精神的な疲れが一番なのだろうと思う。

なのに、快斗は外で待つと言うのだ。
急がないと。


そう思いながら、ローファーを脱いで玄関を上がる。

慌しく家に入りながらも、青子は準備する手順を考える。
タオル類は、快斗の家のものを使わせてもらうことになるので、ともかく必要なのは着替えだ。
考えながら駆け込んで。


だから、家の中の違和感に気がつかなかった。
人気がないはずの室内に感じる違和感に。


居間の前を通り過ぎようとして、何かが視界の端を掠めた。

いつもならば、けして目にしないような…。


疑問とともに確かめるために青子は身を翻そうとして、振り返る途中で、
死角から伸びてきた手に乱暴に咽喉と、体を拘束された。


大きな物音を立てて、かばんが落ちる。


「……だ、……いやっ!」


上げた悲鳴は、途中でぐっと咽喉を押さえつけられて息ごと止められた。
生暖かい吐息が、耳元にかかる。


「おとなしくしろ!!」


嫌悪感に、背筋を悪感が走る。

抑えた声に込められた苛立ちと悪意に、恐怖を感じる。
拘束されているがゆえに感じる知らない体温に、吐気がした。

拘束を振り払おうと、とっさに暴れたが、それは、無駄なあがきでしかなかった。
ぎりぎりと締め付けられて、逆に息が苦しくなるだけで、逃れる事は出来なかった。


誰!?泥棒!?


「中森の、娘か?」


囁かれた言葉に、体が震える。
声を封じられ、逃げる手段も思い浮かばない。

呼吸が出来る程度には、咽喉の圧迫が弱まる。
気がつけば、目の前のもう一人男が立っていた。


「どうなんだ?」


重ねて問われて、咽喉元に突きつけられたナイフに身を震わせながらも、青子は、正直に肯いた。

否定したとしても、無意味だろうと考えたからだ。
ただ、名前で確認したことから、父のことを知っているのかもしれない。


青子の父親である中森は警察官だ。
強盗犯などを相手取る二課の彼は、怪盗キッド専属ではあるものの、当然それ以外の仕事もこなしている。

とすれば、犯罪者に恨まれていても当然なのだ。それを、人が逆恨みと呼んだとしても。


「静かにしてな。」


ちらりと男が玄関を見やったのに、青子はハッと息を呑んだ。
快斗が、外で青子を待っている。
先程の悲鳴と物音を聞いているだろう。

もう一人の男の手に、黒光りするものが握られていた。


「おーい。青子どうした?青子!」


名を呼ぶ声が聞こえるが、当然返事なんて出来るはずもなくて。

けれど、絶対に巻き込んじゃいけないと思った。
家の外にいる今なら、快斗ならば、捕まる事もないだろう。


だが、青子を心配して入ってくれば、快斗が危険に晒される。

言わないと。
教えないと!


なんで、こんな大事なときに、声が出ないの!?しっかりしなさい!青子!!


自身を叱咤し、ぐっとお腹に力を入れる。

捕らえられ、ナイフを突きつけられた状況で、恐怖がないわけでもなく、
まして声を上げれば、どんな仕打ちを受けるのか、目に見えるように簡単に予想がつく。


だが、快斗が危険に晒されるよりはましだと。巻き込むよりは余程いいと思った。


「〜〜〜!!」


押さえ込まれた状態から、また、身体に力を入れて逃げ出そうとする。
が、やはり無駄な足掻きでしかなかった。

けれど、その抵抗は、確実に男たちの意識を青子に惹きつけた。


何が起こったのか、青子にはわからなかった。

それは、一瞬の一幕。


突如、室内に快斗の声が、響いた。



「Ledies and gentlemen ! It's showtime!!」



ポンッ☆とした軽い音と共に、目の前によく知る煙幕が広がる。煙幕の中から、飛び出した紙ふぶき。


そして……。

黒い人影が降り立ったと共に、鈍い打撃音がし、煙の向こうの男の身体が傾ぐ。
驚愕に、青子を拘束していた男の手が緩む。

力任せに振り払って、身を自由にする。


「青子、伏せろ!」


黒い人影はそのままこちらへと身を翻して、長い足が、弧を描いて青子を捕らえていた男を蹴り飛ばす。
吹っ飛んでいく男のことなど、青子の脳裏にはなかった。

よく知っている人影に、震える足でまろびよる。


「大丈夫か!?青子!」


そばに来た快斗の手が、青子を引き寄せ抱きしめる。

青子の無事を確認するように、少し痛いくらいに抱きしめられ、快斗が耳元で大きく息をついた。
ぎゅうっと快斗の腕に抱きしめられて、ようやく青子は安堵の息をついた。

まともに呼吸することを思い出す。
感情が、ようやく動き出した。


「か……快、斗。」


震えだした身体から、声を絞り出して、抱きしめてくれる快斗に青子もしがみつく。
体中、触れているところから伝わる快斗の暖かさが、我に返って襲ってきた恐怖を、ゆっくりと溶かしていく。


「もう大丈夫だから。」
「…ん。うん。」
『大丈夫。』


その言葉を、何度か快斗は繰り返す。

安堵に包まれると共に、感じた恐怖を思い返し、彼のその言葉に縋りつくように、
ただ、後はもう快斗の名前を繰り返し呼んだ。

それしか言葉を知らない子供のように。
落ち着かすように幾度も彼の手が背をなでる。


「青子、立てるか?こいつら、通報しないと…。」


快斗の言葉に、すっかり忘れていた事実を思い出す。


「あ、うん。大丈夫かな?起きないよね?」
「……大丈夫だろ。ロープで一応、拘束しとくし。青子、其処の端にいろよ。」
「うん。」


一人になりたくないということを、十中八九見透かされている。

安心できるようにと、部屋の隅にいるように言われて、素直に壁際に座り込む。

部屋の灯りをつけて、快斗が男二人を手早くどこからか取り出した手品用の細身のロープで縛り上げる。

後の片付けは、全部快斗が手配してくれた。
警察への連絡も。


今、説明をしろといわれても、ろくな説明が出来なかったとは思うけれど。






「青子!」


警察へ連絡して、家を訪れた警察の第二陣で、家の主である青子の父は帰ってきた。

いつもは覇気のある青子の父、中森銀三の声が、どこか不安に駆られたような色を帯びていた。


「お父さん…。」


仕事だと言うのに、駆けつけてきたのだろう。

きっと、直接連絡を取ったのは快斗だ。

大詰めになっている仕事は大丈夫なのだろうか?
一気に疲労が噴出したような父の姿に、青子は不安を覚える。

片時もそれから離れることのない快斗の傍から、青子は一歩踏み出した。


「青子!大丈夫か?」
「お父さん、平気だよ?あのね、快斗が助けてくれたから…。」


青子の無事な姿にようやく安心したのか、銀三は、少しだけ目元を緩ませた。


「無事でよかった。……快斗君、ありがとう。」
「いいえ。」


それから先の会話は、主に快斗が担当してくれた。

父に説明を求められても、青子は、それまでも感じていた疲労がピークに達していて、身体がだるいくらいだった。
精神力で身体を支えている青子は、簡単なあらましを快斗が話しているのを待っているのだけでも相当辛かったのだ。


後の話になるのだが、このとき、中森家に入った二人組の泥棒は、指名手配されていた窃盗グループの一員で、
実は昼のうちに一斉検挙された中で、警察の網を潜り抜けた者達の中の二人だと言う事が判明した。
中森家に入ったのは、偶然ではなく、青子を人質としようとしていたのだ。


だが、そんな事実が判明するのを待つことを、快斗も青子もしなかった。

詳しい事情聴取は明日に回して貰って、ひとまず、触っても大丈夫なところから、
快斗が付き添って青子に泊まる準備をさせた。

銀三は、青子と一緒にいたがったが、それでも仕事があるために警視庁に戻らねばならないという。
青子も、父親の仕事を理解しているために、早々我侭は言わなかった。

逆に、すまなそうに謝る父親に、自分から発破をかけたくらいだ。


「ごめんな、青子…。」
「お父さん、何を謝るのよ!悪いのは、犯罪を犯す悪い人たちでしょ!?
……お仕事まだ終わってないんだよね?青子なら大丈夫だから。…いかなきゃ!!」
「ああ!」


娘の期待に応える様に、後ろ髪惹かれる気持ちを振り切って、銀三は頷いて、
快斗と快斗の母に青子を任せると再び現場へと戻っていった。






事件後、青子はいつものように振舞った。

身体がだるいために、黒羽家で、家事の手伝いという事は出来なかったが、
割合にいつもどおりに過ごして、青子はいつものように黒羽家の客間で休むことになった。



そして、本人でさえたいしたことないと思っていた事件の後遺症は、その晩に現れた。


青子は、挨拶をして引き込んだ部屋の電気を落とそうとして、手が止まってしまった。

身の内からくる震えが、その手を動かすことを拒絶する。

僅かな灯りである豆電球くらいは残すつもりでいた青子だったが、
身体の震えは収まらず、かくん、と膝から力が抜けた。

手を掛けていた照明を、消すにはいたらず、そのままその場に座り込んでしまった。


「……あ、あれ?」


もう一方の手も震えており、両手を握り締めるようにするが、いっこうに震えは収まらない。
仕舞いには、声まで震えていた。


「や、やだ。も…う。ど、して?」


わけもわからず、涙が出た。


「っふうぅ……。な、んでえ?」


座り込んだままの青子は、暫く一人で泣き続けた。

それが長かったのか、短かったのか、自分では判断できないくらいの時間が過ぎる。

もはや自分でも正常な判断が出来ないほどにはパニックを起こした青子は、
それでも、先に休んでいるはずの黒羽家の二人を起こさない為に声を抑えた。

止まることのない、涙の奥に、暗闇に対する恐怖があるのだと、
何とはなしに理解した頃、部屋の扉を叩く音がした。


「青子?まだ寝てないのか?」
「…か、かい、とぉ。」


なんでもないのだと告げるために上げた声は、震えて、自分が泣いているのがすぐにわかるような声。
助けを求めるような懇願をこめていることに、青子は気がつかなかった。


「青子!?」


尋常ではありえない青子の様子に、快斗が部屋に飛び込んできた。

部屋の中央の布団の上で座り込んでいる青子の姿に、快斗はずかずかと近付いた。
そのまま、同じように布団の上に座り込んで、青子の顔を覗き込む。


「どうしたんだ?なにか、あったのか?」
「わか、んない。…電気消そうとしたら、身体、震えて、とまんな……。」


ふるふると頭を振る青子に、快斗は目を見開いた。


「ごめん…!ごめんな、青子。」


ぎゅうっと、世界から青子を隠すように力強く抱きしめる。


「快斗、が、謝ることじゃ、な…いよ?」
「いいから。…暗いのが、怖かったのか?」


優しい声で、問いかけてくる。
それに、青子は正直に頷いた。


「う…ん。怖い…ッ。」
「他には?他に、怖いこと、あるか?」


ゆっくりと、抱きしめている手で背をなでる。

「あの、ね?」
「おう。ゆっくりでいいぞ。」

「お父さんと、快斗は平気だったの…。でも、刑事さんたちが…。」
「怖かった?」

「うん。そんなことないって、わかってるのに。ちょっと、怖かった。」
「お袋は?平気?」
「うん。」


ぼたぼたと流れて落ちる涙は、全て快斗のパジャマが吸っていく。

握っていた手を解き、震える手で、青子は快斗にしがみつく。

抱きしめてくれる腕が、誰よりも安堵できるものだと青子は知っている。
優しくて、強くて、青子の自慢の幼馴染。


青子の、大好きな人。


それから、言葉にもならないような声で、泣きながら青子は快斗の名を呼び、
何が怖いのかと言うことを話し出した。

それは、恐怖を自分のうちに溜めないために必要なことだった。


青子の言葉に、快斗は、数時間前と同じ言葉を返す。


「大丈夫だからな。傍にいるから。」


泣きたいだけ泣いていいから、と態度で示されて、
青子の涙は本格的に止まらなくなってしまった。





涙が、ようやく収まりだして、身体の震えがなくなった頃。


「…俺は、怖くないんだな?」


不意に快斗が呟いて、青子は驚きながらも素直に返事を返した。


「………快斗だもん。怖くないよ。」


快斗の声が深く響いて、とてもとても甘い。伝わる体温は温かくて、聞こえる心臓の鼓動に安心する。

少しでも意識してしまえば、安心だけですまない事は、わかりきっていたけれど。
幼馴染としても、彼は『特別』なのだから。

多分、どれほど仲の良い男の子の友達がいたとしても、きっと、青子は恐怖を覚えただろう。
彼だからこそ、怖くない。


「俺も男なんだけどな?」
「快斗が、男の人じゃなかったら、…困るよ。」


返した返事が、告白まがいのものだと、その時青子は気がつかなかった。言葉に込めた自分の思いに。

だが、抱きしめていた快斗が、優しく背をなでてくれていた手を止めた。
抱きしめられていた腕が軽く解かれ、右手で顔を掬い上げられた。

問いかけるように名を呼ぼうとして、涙に濡れた視界に、彼の顔が近付いてくるのが見えた。

ふわり、と何かが唇に触れた。


「──っ!」


いま、軽く触れたものは、何。


柔らかな感触に、止まってしまった頭で、考える。

触れているだけの筈が、位置をずらしていく。
軽く啄ばむようにして、離れると、いまだにとめどなく涙を流している右の目元へと移動する。

涙を拭う唇が、目元から頬へと移動し、また、目元へと戻る。柔らかく、擽ったいまでに、その接触は優しい。


ちょっと待って。
あれ?ちょっと待ってよ?
何で?


思考停止状態の頭では、答えは出てこない。

ふっと離れて、快斗は苦笑交じりに告げる。


「こういうとき、目は閉じるのがマナーじゃねえ?」
「あ、うん。」


納得して目を閉じる。

快斗の言葉は、ひどく、当たり前の言葉だったから。
再び落ちてくる感覚が、ぐっと近くなる。

先程よりも、柔らかな感触が、ずっと強く感じられる。


あれ?さっきまで自分たちは何をしてたんだろう?
今は、何をしてるんだろう?


軽く、本当に軽く触れるだけだった唇が、ほんの少しだけ強く唇に押し付けられる。

唇が僅かに離されたときに、青子は疑問をぶつけた。


「快斗、自分が、何してるかわかってる?」
「お前のほうがわかってるか?」

「快斗が、青子にキスしてる?」
「何疑問形なんだよ?……正解。」
「待って!」


再び顔を近づけてきた快斗に、ストップをかける。
いつの間にか、恐怖よりも驚きが大きすぎて、完全に涙が止まってしまった。


「快斗、なんで青子にキスするの…?」
「おい、わかんねえなんていうなよ?」
「わかる気もするけど、わかんないよ。だって、快斗。何にもいってない…。」


先程までの話とは、雰囲気の流れとは、まったく違った展開に、快斗は何一つ彼女に教えていない。


行為の意味は、推測できるけれど、態度も、言葉も欲しかった。

これは、夢ではない?

悪夢から逃れるために見ている、都合のいい夢ではないのだろうか?


「嫌だったのか?」
「いやじゃないよ!」


快斗の言葉に、条件反射で返して。

はめられた!と顔が朱に染まる。

目の前にある、快斗の顔はいつもと同じ、
青子の好きな、どこか悪戯の成功した子供のような自信に満ちた意地悪な表情。

でも、その表情の中の瞳は、甘ったるいほど優しい色を帯びている。


「快斗、ずるい。知ってたの…?」


視線を彷徨わせてから睨み上げると、ちょんちょん、と青子の両手に快斗の指先が触れる。

快斗の服を、放すまいと握り締めたままの青子の両手に、
それが全てを物語っているのだと理解させられた。

泣いている間も、キスをしている間も、決して弛められることなく握り締められたままの両手。
拒絶することなく、縋るように快斗の服を握り締めている。離れないように。


「知らなかったけど、青子の『特別』は、俺だろ?」


また、キスがふってくる。
額に、軽く触れる唇は、触れたまま囁く。


「青子が、好きだよ。」


唇の紡ぐ言葉に、唇の触れる感覚に、吐息に、心ごと絡め取られた。
先程まで、感じていた恐怖を払拭してくれた温もりが、胸の鼓動を一瞬止めた。

きゅうっと胸が締め付けられる。
胸が苦しいくらいなのに、幸せに溺れてしまいそうだった。


「青子も…。青子も、快斗が好き。」


熱に浮かされたように、青子は快斗に告げる。
幸せで、互いに笑んで、瞳を閉じて口付けた。





世界中で二人だけみたいな気分になりながら、触れるだけのキスを繰り返す。

暖房が切れて寒いはずの室内で、身体を寄せ合っているせいか、それほど寒さを感じない。


まして、青子は、快斗に抱え込まれるように抱きしめられているから、なおさらだった。
身体は疲れているはずなのに、もっと、と訴える。

いつもならば、そのまま彼の腕の中で眠りについていたかもしれないけれど、
そうすれば温もりが離れていくことを青子は悟っていた。


今、この温もりを手放す事は出来ない。

ふわふわとした幸福感と、身を包む熱。
手放したくなくて、距離があることが嫌で、いつの間にか手を、快斗の背に回していた。


「青子。」


ふっと息継ぎのためか唇を離した快斗を、もたれるようにしながら青子は、見上げる。
優しい瞳。

困ったように苦笑しているのが目に入る。


「明日、警視庁に行くんだから、そろそろ寝ないとやばい。」


言いづらそうに言い出した快斗に、青子の機嫌は、急降下する。


「え?でも…。」
「な?」
「うん。」


不承不承頷くと、どこかほっとしたように身を放そうとする快斗に、青子は我侭を言ってみる。
淋しいのではなくて、心細い。だから、この我侭を聞いて欲しかった。


「寝るから、一緒に寝てもらって良い?」
「……あおこ〜〜〜〜。」


心底情けない顔で、快斗はがっくりと肩を落とす。

嫌、なのだろうか?

やはり、好きだといっても、突然我侭すぎた?
内心をありありと伝える表情で、青子は快斗を見つめる。

そんな青子を見つめて、突如がりがりと快斗は頭を掻いてから、やけっぱちのように叫んだ。


「あ〜〜!降参!わかったよ。ちょっとだけ待ってろよ。一緒に、寝てやるから。」
「本当!?ありがとう!快斗!!」


諸手をあげて喜ぶ青子に、対照的なまでに快斗は、一気にやつれたように溜息を吐いた。

もはや隠す気もないのか、普通に青子にはわからないことを嘆いていた。


「…誰か、この女に恋人になったっていう意味をわからせてくれよ。」





翌日の警視庁での取調べは、青子の父・銀三とは違う刑事が担当した。
出来れば、女性がいいと快斗が要求し、今事件を抱えていないと言うことで、他部署の刑事が調書作成に同席した。

ただ、その時は間が悪かったとしか言いようがない。

結局、他にも男性がいるというので、取調室と言う密室に入るのを青子が嫌がって、
快斗も一緒に調書をとるという形で、プライバシーのためもあって調書を取ることに落ち着いた。

あんまり青子が快斗に懐くので、即効で銀三に二人の関係の変化がばれてしまったのは余計なおまけではあった。





二人の関係が変わったからといって、差し迫ってくる二次試験が延期されるわけでも、
青子の成績が劇的に上がるわけでもなかった。


ただ、でも頻繁だったメールの数が増えたことと、できるだけ会おうと互いに努力して、
それが当たり前の関係になったということは事実だった。


青子が手に入れたかった『特別』な快斗の恋人と言う立場。
嬉しいけれど、せっかく付き合いだしたというのに、仕事が忙しい快斗が、無理をしていないかが心配だった。


快斗が仕事を押しても傍にいたがった理由の一つに、青子の事件でのPTSDせいもあった。

暗闇と男性を怖がるということは、症状は軽減したものの、完治はすぐには無理ということで、
女性のカウンセラーの元へと通うのによく同行してくれた。


幸せな日々は過ぎて、二次試験も前期が終わり、結果はまだわからないものの、春が、訪れる。










春は、変化を求める季節。

例え昨年と同じような日差しを、景色を人の目に写そうと、確かにそれは時を経て変化している。
空が高く澄み渡り、光の色が白さを増している。
空気に含まれる暖かさに、春の訪れを感じるが、まだその空気は冷たさを秘めている。


三寒四温とは言うが、今日はその三寒のほうに当てはまりそうだった。


卒業式も最後のホームルームも終わり、青子は、かばんに荷物を詰める。
人が少なくなった教室で、感慨にふける。



色々なことがあった。
これから、この場所に青子の居場所はなくなる。



今日が最後だ。


もちろん、卒業式が終わったからといって、高校に来ないというわけではないけれど。


そうこうしていると、ざわざわと人気が戻ってきたのを感じた。

何がしかあったのだろうか?

顔を上げると、先程帰った恵子が、そのまま戻ってきた。
教室に飛び込んできて青子を見つけると、そのままの勢いで青子の手を掴んだ。


「青子!きたきたきたきた!迎えが来てるの!!!」
「け、恵子!?迎えって、お父さんは仕事で…。」
「いるでしょ!?一人!!」
「いるって…。」


話しながらも、強引に青子を引っ張る。
強制的に荷物を持たせながら、教室を飛び出す。

空を舞う鳩が、こちらへ飛んでくるのが目に入る。


「まさか……!」


白い翼を羽ばたかせてこちらへ飛んでくる鳩を、青子は知っていた。
肩に止まることなく、青子の頭上で羽ばたく。そして、先に立つように飛び出した。

恵子に引っ張られる形だった青子の足が、速くなる。
ともすれば、恵子を置いていきそうなほど。

下駄箱で靴を履き替えるのももどかしく、青子は、恵子を置いて駆け出した。
目指す先の校門に、人だかりが出来ている。


「快斗…!」


青子の一言で、人だかりが割れた。

その中心にいる快斗は、その手に大きめの花束を持って立っていた。
羽ばたきながら、その肩に鳩が止まり、ポン、と音をたてて姿を消した。

しかし、青子が驚いたのは彼の格好だった。
普段は滅多に袖を通さないスーツ姿に、青子は驚いた。


「青子!」
「快斗、どうしたの!?仕事、あるんじゃ…?」
「迎えに来てやったんだよ。うれしくねーの?青子ちゃん。ほれ!」


持っていた花束を、青子の胸に押し付けるようにして快斗は花束を手渡した。


「卒業おめでとさん!」
「あ、ありがとう。」


受け取った花束に、口元に笑みが浮かぶ。

何よりも、快斗が来てくれた事が嬉しかった。
花に頬を埋める様にしていると、後ろから追いついてきた恵子が息を切らせながら青子の肩に手を置いた。


「あ、青子〜。」
「あ、ごめん。恵子。」
「…足、速すぎ。」


忘れてたわね〜。と恨みがましく見てくる恵子に、愛想笑いで青子が応える。

しょうがないな、と言わんばかりに恵子は肩をすくめると、快斗に対した。
にっこりとした笑みを浮かべて、快斗を見上げる。


「お久しぶりです、快斗さん。」
「恵子ちゃんだろ?久しぶり。」
「後から、クラスの卒業パーティーがあるんですよ。青子、ちゃんと返してくださいね?」
「お、念押しか。」

「はい。お聞きになってるとは思ったんですけど。駄目ですからね?返してくださいよ?
 また暫く、青子に私会えないんですから。その代わり、一次会だけで我慢しますから。」


女の友情を盾に、快斗にきっちりと約束するように迫る。


「わかったよ。約束する。」


肩をすくめて見せた彼に、恵子は満足げに微笑むと、じゃどうぞ!と青子を快斗に差し出した。


「後でね。」
「け、恵子!?」


恵子の発言に、目を白黒させていると、恵子はさっさと周りのギャラリーの整理に回った。
助かりはするのだが、なんだか、ものすごい意味深な会話だったような気がするのは、青子の気のせいなのだろうか。


なんだか、分かり合っている二人にちょっと嫉妬を感じた。

困惑した顔で快斗を見上げると、彼も困ったように笑っていた。


「快、斗?」
「卒業祝いやるよ。」
「え?」


しっとりとした艶のある声で、快斗がカウントを始めた。
青子を、いつも夢のような世界へ連れて行ってくれるマジシャンの合図。


「One,two,three!!」


ポン!とはじける音を立てて、花束が変化する。

一瞬の出来事に、目を奪われる。


花束は僅かにその形を変えていた。
そして、その花束の中に埋もれるように小さな小箱が新たに存在を主張している。


「Open sesami!」


呪文と共に人差し指を、くるりと箱の上で回転させる。

すると、どういった仕掛けなのか、箱が独りでにぱくんと開いた。
中に入っているのは、銀に輝くファッションリング。

中央には、小さく青い石が存在を主張していた。


青子の、ブルーサファイア。


わりあい、普段使いでもつけれる様なシンプルなデザインに、青子の目が輝く。
少し気後れしてしまいそうなほど、綺麗な宝石を飾った華奢なリング。


「快斗、これ…。」
「卒業祝い。」
「でもでも、これは高過ぎるよ。」
「…受け取れねえって?」


う。と言葉に詰まる。


嬉しい。本当は、すごく嬉しい。


来れるわけがないと思っていた快斗が卒業のお祝いを言いに来てくれて、
しかも、お祝いに指輪をプレゼントしてくれるなんて。


つい、主婦感覚で金額を考えてしまって、遠慮してしまったけれど。


「…ううん。嬉しい!」


なんだか周りのギャラリーが増えている気がするが、青子は早々気にしているような状況ではなかった。

見つめてくる快斗の目が真剣で、ほかの事など考えられなくなってしまう。

素直に主張した青子に、快斗は満足げな笑みを見せた。


「左手、出せるか?」


足元に、青子はかばんを置いた。

片手には、花束を持ったまま。
差し出した左手をとって、快斗はその薬指に指輪を滑らせた。


「本物は、またやっから。今はこれで我慢な。予約。」


囁くように付け加えられた言葉に、青子は頬に朱を散らした。


「いいの?そんなこと言って。本気にするよ?」


未来のことまで約束するなんて。

期待してしまう。
この指輪を貰えただけでも、すごくすごく嬉しいのに。


今日は泣いてばかりだった。

緩みやすい涙腺が、再び涙を誘う。


花束が心配だったけれど、傍にいたくて、顔を見せたくなくて、青子は自然と快斗の胸に額をつける。


「ありがとう。すごく、嬉しい。」
「待ってろよ。」
「…待つよ。」


気の短そうな青子が、実は待つのに慣れてるだなんて、快斗はわかっているだろうか。

少なくとも、快斗に告白できるようになるまで、ずいぶんと待った。


これから一緒にいる待ち時間は、とてもとても嬉しいものに違いない。

高校を卒業するのは淋しくて、仲の良かった子達と離れる事は、哀しいけれど、


それでも、彼と一緒にいる未来を楽しみに出来るのも本当で。
淋しいと言う感情よりも、楽しみだと思える気持ちは、とても大きい。


「青子の、小さい頃からの夢はもうちょっと後で叶えてやるよ。」
「……快斗?」


ぱっと顔を上げると、砂糖菓子みたいな快斗の微笑が待っていた。


「知ってるの?」
「俺の、お嫁さんだろ?記憶力のいい天才快斗様を舐めんなよ?」


ぱちんとウィンク一つ。

微笑み一つで、周囲さえ巻き込んで。
青子の心なんて、簡単に鷲掴みにする。


そして、青子に魔法をみせてくれる。
小さかった頃からの夢に、簡単に光さえ当ててくれる。


だから、いつものように叫んだ。



「誰が、天才快斗様よ!このバ快斗!」




朗らかな声が、空高く響いた。






2005年の冬企画『Winter Ring〜KAITO×AOKO』で
ご一緒させて戴いた榊慎さんより戴きました。

パラレル年上快斗×高校生青子ですvv
年上の余裕すら感じさせる快斗がカッコイイ!
隣のお兄さんに憧れる純乙女な青子ちゃんが可愛いvv

冬企画もそうでしたが、快青初挑戦とは思えない程、二人の事を素敵に書いて下さってます。

ご自身のサイトで快青は取り扱っていらっしゃいませんが、
これを機にどっぷりとハマって戴けたらなぁ、と密かに願っています。


素敵なお話、ありがとうございましたvv